宮城県との県境に位置する福島県の最北の町、新地町で4代目の漁師・小野春雄さん(61)、長男・智英さん(31)、次男・晋弘(ゆきひろ)さん(30)、三男・晋介(しんすけ)さん(21)は1月2日、3年ぶりに海での出初め式をしました。
大漁旗をなびかせて左回りで3回回り、無事故と航海の安全を願いました。
恐ろしさ実感
「100歳までは生きてやる。国と東電とのたたかいだ。漁師は定年がないのだから負けないように体を鍛えてたたかい続ける」と春雄さん。「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟の原告に加わりました。唯一の漁師原告です。
「福島県のすべての種類の魚を放射能のない元に戻せ。福島県民は事故で全国へ逃げ回っている」と、4万8944人もがいまなお県外に避難している状況を憂います。
春雄さんは言います。「原発は本当に恐ろしいということを実感した。広島や長崎の原爆についてこれまで人ごとでした。末恐ろしい事態におかれているのが福島の俺たちです」
智英さんが船長の父親の船に乗ったのは中学を卒業してからです。「家業は自分のやりたい仕事ではなかった。他にできる仕事がなかったから親父の仕事を手伝っている」
昨年(2013年)まではガレキ処理の仕事があったものの、操業自粛が続き、損害賠償だけで暮らしています。これまでは船の舵(かじ)取り(運転)はまかされてきませんでしたが、ガレキ処理の仕事のときだけは「舵をとっていた。船長の仕事を覚えるのには良かった」といいます。
海から50メートルほどの場所に家があり、大津波は根こそぎ持っていきました。春雄さんの弟は、大地震が来て、船を沖に出そうと釣師浜漁港を出ましたが、津波にのまれ亡くなりました。
「無線で『転覆する』と叫んだ声が聞こえた。転覆地点に救助に向かったものの戻り波にガレキが混ざって妨げになり発見できなかった」と悔しがります。新地町の震災死亡者は116人。
底魚の高線量
智英さんは「今年は家を建てる」ことを計画しています。「元の生活水準を取り戻したい。海の環境が戻らないと生活も戻らない。復興のスピードをあげてほしい。釣師浜漁港のインフラも完成までいたっていない」と、原発事故からまもなく3年になろうとしているのに遅々としてすすまない海の汚染状況にいら立ちます。
春雄さんは「サンプル調査をしているが、カレイ類など底魚は放射線量が高く獲れない。東電は汚染水をいずれは流すだろう。最高の漁場が汚されるのが心配。年間を通して漁ができる無限大の海を汚した。国が原発推進したのだから責任はきっちり取ってもらう」。
親子船が魚を追って海を疾走する日はまだきません。
(菅野尚夫)