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風景も暮らしも壊された・・原発いらない 全国に訴える/帰還2年 福島・楢葉町

町役場近くの高台に立つ早川さん。奥に広がるのは除染廃棄物の仮置き場=10月5日、福島県楢葉町

 東京電力福島第1原発事故による避難指示の解除(2015年9月5日)から2年余、福島県楢葉町に戻った住民は約4分の1です。いたるところに除染で出た放射能廃棄物の山あり、戻った町民から「故郷の風景もコミュニティーも壊された。心が折れそうになるときもある」との声も聞こえてきます。(福島県・野崎勇雄)

 志村知代子さん(75)は、昨年から農業を復活させました。「いろいろな野菜をつくってる。事故前は、ニンジンもサトイモも良い出来だったんだよ」と笑顔を見せます。

 もっと生きた

 志村さんは、原発事故の翌日から家族4人で福島県いわき市、栃木県、東京都、山梨県、いわき市と避難しました。体の具合を悪くした夫が「楢葉に帰りたい」と言いだし、解除前に町に戻りました(帰還のための準備宿泊)。夫はその後、避難解除の2ヵ月前に亡くなりました。

 「原発事故と避難のことはずっと忘れられない。胸が張り裂けそうだ。原発事故さえなければ夫ももっと生きたろう」と言います。

 志村さんは、工事車両のひんぱんな往来、不審人物の動き、イノシシやアライグマなどによる被害を心配。「昨日の夕方、家の外に出たら、イノシシが5、6頭並んで通り過ぎた。震災以前は見たこともなかった」と不安な表情です。

 数力所に避難

 会社勤めの夫と2人暮らしの能々(のの)慶子さん(54)は、昨年末に自宅に戻りました。事故直後、仕事から離れられない夫と別行動。隣の広野町に住む親や弟夫婦と、いわき市内数力所に避難し、その後、具合を悪くした父と2人で実家に戻り、糖尿病、認知症と体が不自由になっていく父を介護し続けました。

 「父を介護した4年以上の年月は本当につらかったが、最期をみとることができたのは幸せだった」という能々さんはいいます。

 「貧弱な福島県の医療をどうにかしてほしい。もともと、医療や福祉が遅れていたのに、原発事故で追い打ちをかけられた。困難を経験した町として逆に医療・福祉の先進地をめざしてほしい。そうすれば戻る人が増える」

 町が1月に実施した「帰町」に関する住民意向調査では「戻っている」18%、「早期に戻る」11%、「条件が整えば戻る」24%、「今は判断できない」20%、「町には戻らない」25%。今、町内に住んでいるのは1906人、26・5%(9月1日現在)で、高齢者世帯が多くを占めます。

 楢葉町は、今後の復興のため国などに財源や体制の確保、住宅周辺の森林除染、防犯・防災体制の向上への支援などを要請。第1原発の廃炉作業、第2原発の全基廃炉の早期実現へ国が責任を持つことも求めています。

 楢葉町にある社会福祉法人「希望の杜(もり)福祉会」の早川千枝子所長は話します。

 「町に戻ってきた人、戻らない人、まだ判断できない人など町民は今も悩んでいます。原発事故さえなければ、故郷で家族みんなといっしょに穏やかで幸せな生活ができたのです。『原発はいらない』と全国の人たちに訴えたい」

(「しんぶん赤旗」2017年10月12日より転載)