福島・双葉町
東日本大震災の発生から6年を経過した3月11日、東京電力福島第1原発事故のため原則立ち入り禁止となった福島県双葉町の帰還困難区域を歩きました。町立双葉中学校に入ると、音楽室ではホルンやトランペットなどの楽器が床に放置されたまま。部活中に地震が襲い、生徒たちが急いで避難した様子がうかがわれました。
2011年3月11日は卒業式当日で、3年の教室の黒板には恩師への感謝のメッセージがつづられていましだ。同校は一晩だけ避難所となり、最大800人の町民が教室に避難。トイレの前には、水道が止まったため生徒たちがプールから水を運んだバケツが並びます。地震の翌朝には第1原発で爆発の危険が高まり、町職員は「町民は『とにかく西に逃げてください』とだけ言われて避難した」と話しました。
町立双葉南小学校の校舎では、教室や昇降口にランドセルが散乱。耐震性能の低い校舎から教師が大急ぎで避難させ、児童は上履きのまま校庭に移動しました。げた箱に残された大量の靴が、持ち主の手に戻ることはありませんでした。
町役場に津波は到達せず、地震の被害も限定的でした。原子力対策室のボードに張られた紙には、職員が避難する直前まで、徐々に悪化する原発の状況が記入されていました。
かつて町民らでにぎわった海水浴場では、町営観光施設「マリーンハウスふたば」が津波で大破した無残な姿をさらします。防波堤からは、約3キロ南に廃炉作業が続く第1原発を望めました。
JR双葉駅を中心とする市街地は、時折パトカーが通る程度で人の気配はほとんどあり
ません。地震が発生した午後2時46分、防災無線が流す黙とうのサイレンが、無人の街に響きました。
(「しんぶん」赤旗2017年3月13日より転載)