「帰りたい帰れぬ村へ黄沙飛ぶ」
福島県相馬市に住む大内秀夫さん(77)が詠んだ俳句です。
「相馬新地・原発事故の全面賠償をさせる会」が発行した『福島の悲しみを知ってください。原発被災地を歩くガイドブック』に載っています。
「ガイドブック」は、全国から被災地の救援活動と現地調査に訪れた人たちに現状を分かりやすく伝える資料として作成されました。大内さんが編集責任を務めました。
表紙は、浪江町立請戸小学校から見える東京電力福島第1原発の排気筒やクレーンを撮った写真。写真説明は「毎日教室からこの光景が見えていた。三月十一日以後、津波と放射能に追われ、子どもたちは全国に避難し四散した」と静かに告発しています。
高校の教師を長く務めた大内さん。教え子たちを大震災の津波で失いました。放射能被害は、東京などに住む5人の孫たちと会うことをできなくさせました。「地域から若者がいなくなった」と悲しみます。
■事故前から警鐘
「事故あれば被曝地となるこの町のそら晴れわたり鶸の群れ飛ぶ」(遠藤たか子さん作)。
「ガイドブック」には「3・11」前に詠まれた短歌が載っています。危険性を警鐘してきた証しです。
大内さんたち404人は、I975年に東京電力福島第2原発設置許可取り消し訴訟を福島地裁に提訴しました。「原発を破壊する地震津波の危険、処理不可能な放射性廃棄物の大量発生、避難計画もない住民無視」などを告発していました。
最高裁まで争ったものの訴。しかし、当時警告した危険は「3・11」で現実のものとなりました。
■「今度こそ勝つ」
「あの時、勝利していたら、こんな苦しみを味わうことはなかった。本当に無念極まりない」。大内さんは、再び国と東京電力に原状回復を求めて「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟に加わりました。第4回口頭弁論で、こう意見陳述しました。
「私たちは今度こそ絶対に勝ちます。私は、今この地域で生きていくため、未来の子孫のため、私の人生の大仕事だと思ってこの裁判の原告になっています」
「ガイドブック」には「二十年は帰られぬと言ふに百歳の母は家への荷をまとめをく」(吉田信雄さん作)とのうたも載っています。配達されないままに浪江町の新聞配達店に山積みされた3月12日付の新聞が写し出された写真も。
「悲しみと怒りの3年でした。生きていくためにもたたかわなければいけないと決意しています」と語る大内さん。「安倍首相は原発の再稼働を当然のように推進しようとしています。ストップさせる力は世論です。福島に来てください。人影の消えた街を見てください。ガイドブックを持ってスタッフは待っています。原発ゼロヘともに歩みましょう」
(菅野尚夫)