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“福島に生きる”「原発ゼロ」発信続ける・・「生業訴訟」原告 河井千代恵さん(59)

生業訴訟の行進の先頭に立つ河井さん=福島市
生業訴訟の行進の先頭に立つ河井さん=福島市

 「国にウソをつかれてきた5年半だった」と「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(中島孝原告団長)原告の河井千代恵さん(59)は言います。「物の見方が変わりました。国や大企業は平気で国民をだますことを知りました」

 福島第1原発事故が起きて、2011年3月14日に母親と夫、子ども2人、妹一家4人、計9人で福島県いわき市から郡山市の養護学校体育館に避難しました。

 支給されたのは毛布1枚。「寒くて眠れなかった」と言います。それまで病気をしたことのなかった当時78歳の母親は体調を崩し、寡黙になりました。

■給水の列に並び

 その後、いわき市の放射線量はそれほど高くないことが分かり自宅に戻りました。

 いわき市内は断水が続き給水車の列に並びました。低線量の被ばくの心配はあったものの、水がないと生活できないことから外での給水に並び時間を取られました。

 5月になって水道が復旧しましたが、ペットボトルの水を買い続けました。いわき市の水源に放射性物質が降りそそいだと伝えられたためです。2015年まで水は買っていましたが家計が苦しくなり購入をやめました。

 海に面したいわき市。「海産物が名物で、週3回以上は食べていた」のが事故後は食べなくなりました。試験操業が開始されましたが「海洋汚染が続いているから今も食べていません」。

 中学生の子どもがいる妹一家は千葉県に避難。も避難したままで、いわき市には戻っていません。「当時は私の長男も長女も20代。長男は未婚で、将来の健康不安や結婚について不当な差別をされるのではないかと心配です」と言います。

 子ども2人は、いわき市民訴訟(伊東達也原告団長)の原告に加わり、国と東京電力の責任を問うたたかいに参加しています。

 河井さんの夫は、石材販売の仕事をしています。原発事故後は、新しい契約が減り、契約単価が下がりました。原発事故前に契約していた仕事はキャンセルされました。1件300万円ほどで請け負うことができた仕事は、原発事故後は100万円ほどに下落しました。

 河井さんが心を痛めていることは、事故前からいわき市に住んでいる人たちと、事故後に原発設置周辺の地域からいわき市に選難してきた人との間に目に見えない壁がつくられていることです。

■「仲良く暮らす」

 いわき市民は自分たちも被害者です。しかし、国と東電の分断と切り捨てによって市民には不満感と不平等感が募っています。河井さんは言います。「さびしいです。以前同様にみんな仲良く暮らしたい」

 「復興支援」を名目に海水浴ができるようになりました。

 「事故が収束していないのにしらじらしい限りです。私の中では収束とは程遠いです」

 先の参院選挙で、福島選挙区は野党統一候補が当選しました。鹿児島県知事が川内原発の一時停止を求めるなど新しい勣きも起きています。

 「鹿児島県での変化はすごいことです。他の原発立地地域に波及してほしいです。福島から原発ゼロを親子で発信し続けます」

(菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2016年9月23日より転載)