福島県の浜通りを縦断する国道6号。車窓から見える沿道の所々に紅白の梅の花が咲いています。たゆまぬ季節の移りを知らせる自然のめぐり。しかし、そこに人の営みはありません。
朽ち果てた家や商店。雑草に埋もれた田畑。残された看板だけが、在りし日のにぎわいを想像させます。あれから5年。広大な無人の町に目立つのは汚染された廃棄物が詰まった黒い袋の山と、わがもの顔の獣たちだけです。
山があり、川があり、海がある。自然豊かな地で何世代にもわたり、子や孫とともにのどかに暮らしてきた故郷。そのすべてを奪い取った原発事故は今も被害をひろげています。10万人近い県民が避難生活を強いられ、原発・震災関連死は2千人を超えてしまいました。
復興どころか生きる希望さえ失い、命を絶った人も他の被災県に比べ突出している福島。地元紙が行った直近の世論調査でも、復興を実感していると答えた県民はわずか2割にとどまります。
必死に生きながら生業(なりわい)を返せ、原発をなくせ、と立ち上がる多くの被災者。それをあざ笑うかのように、再稼働へと走る電力会社と安倍政権に司法が待ったをかけました。大津地裁が高浜原発3、4号機の運転差し止めを求める住民の申し立てを認めたのです。
運転中の原発を止める画期的な決定。それは、汚染水が拡大し、核燃料の状態も事故原因もわからない福島原発の現状に照らせば当然です。人生のすべてを奪う原発こそ、私たちの営みから消し去らなければなりません。
(「しんぶん赤旗」2016年3月10日より転載)(きょうの潮流より、見だし=山本雅彦)