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独の全原発停止 議論重ねて達成・・30基以上の廃炉に立ち向かう

反原発を訴えデモ行進する人々=3月11日、ベルリン

 ドイツの原子力発電所が15日にすべて停止しました。かつては発電量の最大3割以上を原子力に頼り、世界有数の原発大国だったドイツで、1990年代末から目指してきた原発全廃が完了しました。その根底にある考え方と、今後の課題を追いました。(ベルリン=桑野白馬 写真も)

 最後の3基の原発停止を前にした3月30日、ベルリンで記者会見したシュテフィ・レムケ環境相は、「原発が止まる日は、ドイツにおいて改革が起こった喜びの日だ。社会として脱原発を達成するのは大きな成功だ」と述べました。

 2011年3月の福島第1原発事故を受け、当時のメルケル首相は、「日本で起きたことは世界にとっての転換点」「原発の安全性と(放射能汚染からの)人間の保護を第一に置く。妥協は許されない」と発言。政府は10年以内の全原発停止を決めました。

“倫理的な将来”

 その決断の後押しをしたのが、政府が設置した「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」の勧告でした。

 2カ月の討議で、「何よりも、持続可能な将来が倫理的な将来だとの考えを議論した」と語るのは、委員の一人、ミュンヘン工科大学のミランダ・シュラーズ教授(環境政策)です。「なるべく早く脱原発を達成し、一番安全な自然エネルギーの方に向けることを提言した」と振り返ります。

 委員会の議論の一部は一般公開され、市民との討論がテレビ中継されました。「透明性を確保し、国民の意見をなるべく採り入れる」ためでした。

 原発関連の労働者の生活や地域経済を考慮し、約10年後の脱原発を提言。「より早い時期の原発停止を提言することもできたが、社会の安定という面も考えた。再エネを拡大しつつ脱原発を段階的に実現するのが最も良いと結論づけた」と語ります。

 政府は原子力法改正で段階的な脱原発に踏み切り、同時に再生エネルギーの抜本的拡大の法律も制定。22年の電力消費量における再生可能エネルギーの割合は10年の約20%から46・3%と2倍以上に拡大しています。

原発と核兵器と

 ドイツでは1970年代後半から大規模な反原発運動が起こりました。さらに80年代には欧州への核ミサイル配備に反対する反核運動も高揚。シュラーズ氏は、冷戦時代に東と西に分裂していたドイツは「いつか戦争になってしまうのではという不安定な状況」にあったと指摘。国民の意識の中には「常に原発と核兵器のつながりがあった」と振り返ります。

 86年のチェルノブイリ原発事故でも、原発による放射能汚染への懸念が広がり、大規模な反原発デモが起きました。同事故によって政界にあった「原発安全神話が崩壊した」と語ります。

 ロシアのウクライナ侵略では、欧州最大のザポロジエ原発への武力攻撃が発生。原発の持つ危険性がクローズアップされました。

 レムケ環境相は、記者会見で、武力攻撃によって送電線が破壊され、原発が外部電源を失うと、燃料棒の冷却ができなくなる危険があると指摘。「こういう事態は数カ月後にも起こる可能性がある。ロシアの戦争で、欧州とドイツが大きな危険にさらされている」と警告を発し、脱原発の決断の正しさを強調しました。

推進に厳しい目

 今後は、30基以上の原発の廃炉作業が待っています。

 レムケ氏によると原子炉解体による低中レベルの放射性廃棄物は、約30万立方メートル(オリンピックの競泳プール約100杯分)あり、その処理に数十年かかります。使用済み核燃料など高レベル廃棄物は、現在16カ所の中間貯蔵施設に保管されていますが、今後最終処分場の選定が課題です。

 レムケ氏は、「3世代で蓄積された高レベル放射性廃棄物は30万世代にわたり負の遺産となる。それに対する責任が孫からひ孫、さらにその後の世代に引き継がれる」と語りました。ただ脱原発で処理すべき核廃棄物の量が明確になるのは「今後の処分問題を考える上で大きな利点だ」とも述べました。

 連邦レベルでは、最終処分場の選定のための委員会が立ち上がっており、科学者や市民が参加しています。

 シュラーズ氏によると、地質調査、処分地の選定、施設建設を含めて廃棄物の搬入を終えるまで最大100年かかる可能性があります。「原発を推進する国は、次の世代のことを考えていない。処分場も決まらないまま原発を使い続けるのは倫理上の問題がある」と、原発推進・回帰の動きに厳しい目を向けています。

ドイツの脱原発を巡る動き

1961年6月     西独初の原発による電力供給(東独では66年)

 70年代後半   反原発運動が高揚

 83年3月    緑の党が連邦議会に初議席獲得

 86年4月    ソ連のチェルノブイリ原発事故(現ウクライナ)。ドイツにも放射能汚染広がる

 98年10月   社民党・緑の党連立のシュレーダー政権、連立協定で「原子力利用からの脱却を任期内に包括的かつ不可逆的に法律で規定する」ことで合意

2000年6月     政府と電力業界、原発全廃で基本合意

 02年4月    原子力法を改正し、21年ごろの全原発停止を決定

 05年11月   中道右派のメルケル政権発足

 10年12月   原発稼働期間を平均12年延長する原子力法改正。大規模な反対デモが起きる

 11年3月11日 東京電力福島第1原発事故

     同15日 国内17基のうち、老朽7基の運転を停止

    5月    政府の諮問機関「倫理委員会」が21年までの脱原発を提案

    8月    原子力法改正で、22年末までの全原発の段階的停止を決定

 21年12月   社民党・緑の党・自由民主党連立のショルツ政権発足

 22年2月    ロシアがウクライナ侵略

   11月    下院、12月末の閉鎖を控えた3基の23年4月までの稼働延長を可決

 23年4月    3基が停止し、脱原発が完了

(「しんぶん赤旗」2023年4月16日より転載)