きょうの潮流

 石川県志賀町にある北陸電力志賀原発。もとは能登原発と呼ばれていました。同社の社史で1988年に「能登」から「志賀」に名称変更したと▼57年に社長室に原子力課を設置。62年発行の『北陸電力10年史』には「実際に原子力発電所を建設する場合、最も重要な問題はまず敷地である」と書いています▼運転を76年に開始する計画でした。候補地点を能登半島の4カ所に決め、68年から土地の買収交渉に着手。しかし、候補地点の人々の反対にあい買収を断念する地区があるなど、計画は大幅に遅れました▼後の社史にこんな記述が。ある地区で住民が臨時総会を開き、住民投票によって原発の受け入れに対する意見のとりまとめをしました。投票は実施されましたが、「県当局の調停により、開票は保留された」と▼また、環境影響調査のために電力会社が実施すべき海洋調査では、漁協の反対にあったため、石川県が別の名目で実施した海洋調査結果を、調査ができないでいた北陸電力に利用させたことも。地域住民の合意なしに建設が進められていったのです。93年の営業運転開始まで「実に四半世紀の歳月を要した」といいます▼その後、再循環ポンプの事故が頻発。99年には制御棒脱落・臨界事故が発生し、これを隠ぺいしていたことが8年後に発覚。事故を隠したまま2号機の建設が着工されています。今回の地震で重大なトラブルが相次ぎました。「(定期検査で)停止していてよかった」との声を聞きます。廃炉こそ安心できます。

(「しんぶん赤旗」2024年1月23日より転載)