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美浜原発事故から10日‥「真相知りたい」「人災だ」。最後のメール「仕事終わったら帰る」

関西電力美浜原発3号機の死傷事故からきょうで十日になります。遺族を訪ねると「真相を知りたい」「人災だ。二度と起こさないでほしい」と悲痛な声で訴えられました。

菅野尚夫記者


遺族の思い悲痛

小浜市、三方町、上中町に住む遺族たちを記者が訪問すると、「共産党とうちは関係無い」「共産党に来てほしいと言ったわけじゃない」と一様に玄関でけげんな顔をされました。しかし、焼香をさせてもらいました。遺族は遺影を前に「匿名で」と重い口を開いてくれました。

■優しい子だった

「優しい子だった」と、息子を亡くした親はいいます。「『体に気をつけて』と私にいつもメールをくれました。最後のメールは八日夜。『いま仕事が忙しく、終わったら帰れるよ』。メールはずっと残しています。憎い。残された孫たちをしっかり守って生きていきます」

亡くなった四人は、高鳥裕也さんが最も若く二十九歳。三十歳の井石智樹さん。中川一俊さんが四十一歳。最年長が田岡英司さん(46)で、働き盛りの人ばかりでした。

井石さんの兄(32)は「弟を元気な体で帰せ。まだ一歳六カ月の長男の大翔(つばさ)がふびんだ」と遺影を仰ぎます。「関西電力が事故について説明にきたのは十六日になってから。再三説明を求めてようやく来た。遺族のことを思っていない。一番知りたいのは何で起きたのか、真相だ」と怒りをぶつけます。

井石さんの兄は、犠牲者を出した下請け会社・木内計測の本社(大阪)で働いていました。「一緒に弟とやっていたら(私も)やられた。言いたいことは山ほどあるが、いまは言えない。遺族同士で連携していきたい」

中川さんの通夜は、「大雨洪水警報」が出されるなか、十七日の夜に行われました。参列者に“涙雨”が激しく降りそそぎます。兄は「弟が大事に育てた三人の子が残されました。どんな思いで逝ったのか。悔しくてなりません」と声を詰まらせました。

■本人が一番無念

別の遺族は「本人が一番無念だったろう。めいどに行けるように、今後どういう対策をとるのか、原因究明とともにやってほしい」といいます。

そして、ほほ笑む遺影に語り掛けるように、「防げた事故だ。関西電力はなぜ早く手を打たなかったのか。『運が悪かった』では済まない。怠慢、横暴、営利主義のごう慢さが招いた人災だ。これから嫁さんをもらって、おれも孫の顔をみられたのに」と話しました。

 

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