2万2000人以上の犠牲者を出した東日本大震災は3月11日、発生から10年を迎えました。津波で大きな被害を受けた岩手、宮城、福島各県の沿岸部では、犠牲者を追悼する人々の姿がありました。収束とは程遠い東京電力福島第1原発事故の被災地でもある福島県の避難者は県の発表で3万6000人、実際には8万人以上といわれ、政府は正確な人数さえ把握していません。住まい、生業(なりわい)復興の途上に起きたコロナ禍が被災地に新たな影を落としました。「元の生活を取り戻したい」―被災者の願いです。
宮城・南三陸町
11日、宮城県南三陸町の震災復興祈念公園には震災の犠牲になった人たちを追悼する多くの人たちが訪れました。
復興事業の工事音が響く中、海が見渡せる高台で献花台に花を手向ける人、海へ向かって手を合わせる人、被害のすさまじさが残る旧防災対策庁舎をじっと見つめる人、突然立ち止まり手を合わせる人。それぞれの思いをめぐらせました。
親戚がいまだ1人行方不明だという伊藤久夫さん夫妻(69)=同町=。1960年のチリ地震による津波も体験し、2人の子どもには津波の恐ろしさをよく言って聞かせてきたといいます。
伊藤さんは高台から町を一望し、「復興、復興というが町並みが変わり、ふるさとがなくなってしまった」と話しました。
(「しんぶん赤旗」2021年3月12日より転載)