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東日本大震災・原発事故10年 被災地から(5) 避難者 戻った住民1割以下

福島・浪江町

 東京電力福島第1原発事故の影響で福島県では10年たった今も、県の発表で県内外合わせて約3万7000人が避難しています。

 県沿岸部の10市町村では、まだ帰還困難区域が広がり、避難指示が解除された地域での居住率は31・8%にとどまります。

一部解除後も

 一部地域が避難指示解除されて4年の浪江町の場合は―。

 JR常磐線浪江駅を降りると、駅前に目立つ、さら地。16軒入れる飲食店街には4軒の看板しかありません。

 中心部から離れると、「除染中」のオレンジののぼりと除染廃棄物を入れたフレコンバッグの山。

 にぎわいをみせているのは新しくできた道の駅。地元の海産物や野菜も並びます。

 同町は農業農村を主体にして、その周りに商工業や漁業がある、そんな姿の町でした。

 

荒れ果てたままの飲食店が入っていた建物=6日、福島県浪江町

同町によると、2月末の時点で、住民登録している1万6650人のうち町に戻ったのは、1098人。仕事などで住民登録しないで居住している人を含めても1579人です。1割以下です。

 飲食店の女性従業員は、「これでもお店が以前より増えました。だけど、町の人は戻っていません。これからも期待できません」といいます。

 4年前に戻ってきた斎藤チヨノさん(86)は畑で作った野菜を道の駅に出しています。避難前に住んでいた自宅をリフォームして暮らしています。

 「活気はまだまだ戻っていません。とにかく人が少ないし、来ません。イノシシやハクビシンに手をやいています」と話します。

 復興庁が1月に発表した浪江町住民意向調査では、帰還について「戻らないと決めている」とした回答が5割を超えました。

 6年前に福島市内に中古住宅を買った54歳の男性は「帰るつもりだったが、除染も進まず、もう帰れないと判断した。東電にはすべてを元にもどしてほしい、といいたい」。

進む巨大開発

 帰還者が少ない一方、国家プロジェクトとして「福島イノベーション・コースト構想」にもとづく水素製造拠点などの巨大開発が進められています。

 「『創造的復興』という看板のもとで、開発志向型、すなわち呼び込み型、本質は惨事便乗型ではないかと私は判断せざるを得ません」というのは日本共産党の馬場績町議です。

 「『新たな復興期間に入る』という復興・再生の政策支援というなら、県内はもちろん、避難中の住民も支援の対象にするのが当然です。町民の声を吸い上げ、町民の誇りを呼び戻し、浪江の気候・風土に合った農業をはじめとする産業の復興、きめ細かな支援を優先すべきです」

 (栗田敏夫、菅野尚夫)

(「しんぶん赤旗」2021年3月8日より転載)