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関電 腐敗構造を問う(上)・・脅しの根拠に「手紙」

1,2号機の再稼働に向けて工事が進む関西電力高浜原発=11日、福井県高浜町

 関西電力と高浜原発のある福井県高浜町の有力者だった人物との癒着構図が明らかになりました。関電腐敗の構造を追います。(金子豊弘)

 森山栄治高浜町元助役(故人)から関電役員らに渡っていたのは、約3億2000万円の金品でした。岩根茂樹社長は金貨10枚(150万円相当)、八木誠会長(9日付で辞任)は商品券や金貨、スーツなど859万円分を受領していました。全体の内訳は、現金は1億4501万円。商品券は6322万円。米ドル1705万円。金貨365枚。小判型金貨3枚。金杯セット8。金500グラム。スーツ75着分。原子力事業本部(福井県美浜町)の本部長やそれに準じる役職、または高浜原発の所長についた経験のある役員に金品は集中していました。

返却不可の理由

 関電側は、森山氏から受け取った金品について返却することができなかったといいます。

 会見で岩根社長は、「金品を渡されたものは受け取る理由はないと考え返却を申し出たものの、森山氏から、なぜわしの志であるギフト券を返却しようとするのか。無礼者。わしを軽く見るなよ、などと激高され、返却をあきらめざるをえなかった」と、森山氏とのやりとりを語りました。

 しかし、日本を代表する大企業の経営者たちが、相手は高浜町の助役を務めた人物とはいえ、多少すごまれたとしても、常識外れの金品をすごすごと受け取り、返却できないなどというのは、不可解です。なぜ返却できなかったのでしょうか。

 関電の社内報告書に記されている森山元助役とのやりとりが、その謎をとくヒントになります。

 「発電所運営の妨害を示唆する恫喝(どうかつ)として、『お前とも関電とも関係を断ち切る。●●●(黒塗り)発電所を運営できなくしてやる。』といった発言があった。また、高浜3・4号機増設時に関電経営トップと何度も面談し、増設に関して依頼を受けたと話していた。森山氏は、その際、当社の経営トップから受け取ったという手紙やはがき等を保管しており、『発電所立地当時の書類は、今でも自宅に残っており、これを世間に明らかにしたら、大変なことになる。』などといった発言があった」

 関西電力の高浜原発1号機の設置許可が下りたのが1969年12月のことでした。森山氏が高浜町入りした時期と重なっています。その後、森山氏が高浜町の助役に就任したのは77年4月のことです。そして87年5月に同町を退職しました。この間、高浜原発3・4号機の設置許可が80年8月4日に下り、3号機の運転開始は85年1月17日、4号機は85年6月5日のことです。

反対抑圧依頼か

 発電所立地当時、つまり、高浜原発1号機建設反対運動を抑え込むためではなかったのか。あるいは3、4号機の増設の時か。そのさいに、関電側から森山氏側に、反対運動抑圧の依頼があったのではないか―。ということが推測されるのです。その経過を示した証拠となる「手紙やはがき」「書類」を森山氏が長年所有し、もし、世間に明らかになれば、関電が「大変なことになる」というのが、森山氏が関電側を「脅す」物的根拠となった、ということです。

 手紙やはがき、書類の存在について、岩根社長は会見で「物を見た人間は誰もいないと聞いていますので、ブラフ(脅し)で言われているかどうかは私自身分かりかねます」と語っています。手紙や書類が、もし「ない」としても、それが「脅し」に使えるということは、森山氏との癒着関係の闇が深い、ということを示しています。そもそも、「脅し」でいっているのであれば経営陣は、「そんなものあるはずがない。あるのなら、見せてほしい」と森山氏に迫るべきものです。

 関電経営陣による常識外れの対応の裏に、一体何が隠されているのか。徹底した解明が求められます。

 (つづく)

(「しんぶん赤旗」2019年10月16日より転載)