2011年3月11日の東京電力福島第1原発事故をめぐり、業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電旧経営陣3人にたいし、東京地裁は無罪の判決を言い渡しました。避難中に人命が失われ、いまも4万人以上が故郷に帰れず、収束も見えない未曽有の被害をもたらした事故の刑事責任が不問にされたことに、「不当判決」との批判が上がっています。
公判では、事故を防ぐ機会があったにもかかわらず、手だてをとらなかった東電経営トップの姿が改めて浮き彫りになりました。この判決をもって東電は責任を免れることはできません。
国民の思いと隔たり
裁判の最大の争点は、福島第1原発の敷地を超える大津波の襲来が予見できたかどうかでした。
国の地震本部は02年、福島県沖などでマグニチュード8クラスの津波地震が30年以内に20%程度の確率で発生すると予測する「長期評価」を公表しました。
東電の依頼を受けた子会社は08年3月、「長期評価」を取り入れて、第1原発に「最大15・7メートル」の津波が到達すると算出しています。敷地の高さ10メートルを大きく超す津波の襲来を示すこの試算について、経営陣3人は08年6月から09年春にかけて担当の社員から報告を受けていたことが、公判などで示されました。
ところが判決は「大津波は予見できなかった」としました。長期評価については「客観的に信頼性、具体性があったと認めるには合理的な疑いが残る」などと否定しました。旧経営陣の主張を全面的に追認したものです。
原発被害者らが各地で提起した民事訴訟では、東電に賠償を認めた判決が相次ぎ、2017年の前橋地裁判決では、東電が巨大津波の高さを試算していたことを根拠に「東電は08年には実際に津波を予測していた」とのべるなど、予見可能性を認定しています。民事と刑事の裁判の違いはあるとはいえ、今回の判決は国民の思いとあまりにかけ離れたものといわざるをえません。
また判決は、津波という自然現象は正確な予知や予測に限界があるなどとのべ、「(津波の)あらゆる可能性を考慮して必要な措置を講じることが義務づけられるとすれば」「運転はおよそ不可能」になるが、それは困難だと断定しました。原発停止は「ライフライン」にかかわるなどという理由を持ち出して、経営優先の東電の姿勢を容認した判決は、国民の常識に反するものです。
「絶対的安全性の確保までを前提とはしていなかった」と結論づけて経営陣を免罪したことは、事故がもたらした甚大な被害を直視したものではありません。
再稼働は許されない
この裁判は、検察が旧経営陣を不起訴にしたことに対し、市民らでつくる検察審査会が2度にわたり「起訴すべき」と議決し、強制起訴によって始まったものです。公判の中では、東電のずさんで無責任な対応が次々と明らかになりました。
このような東電の体質はあらたまっていません。東電が柏崎刈羽原発(新潟県)の再稼働に向けた動きを加速させていることは重大です。再稼働は断念し、被害者への賠償と、事故の収束と廃炉に真剣に取り組むべきです。
(「しんぶん赤旗」年9月21日より転載)