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あの津波に学んだか・・原発の地震想定「過小評価」と確信 指摘続けなければ

「再生可能エネルギーを増やすのが当然の道なのに、既得権益を守るために物事が進んでいる」=早坂元興撮影

前原子力規制委員長代理 島崎 邦彦さん

 1946年生まれ。東京大学地震研究所教授を務め、日本地震学会長や地震予知連絡会長などを歴任、2012年から14年まで原子力規制委員。

 

 原子力規制委員会の委員長代理を2014年に退任した後も、原発の安全性を問い続けている人物がいる。地震学者の島崎邦彦さんだ。今年4月には関西電力大飯原発の運転差し止め訴訟で、「地震の想定が過小だ」と証言した。電力会社はなぜ変わらないのか。そして、福島のような原発事故が再発することはないのかを聞く。

 ―原発は、地震や津波の規模の想定が安全対策の大前提にあり、それによって対策コストも大きく変わります。原子力規制委員の退任後、原発の地震想定が過小だという指摘を続けていますね。

 「辞めた人が現役に文句をつけるのは嫌いで、ずっと避けていました。退任後、地震学者として、政府が新しく想定した日本海側の津波の高さの妥当性を検証しました。津波想定に使った計算式を調べたところ、場所によっては過小評価で、以前からある別の計算式を使うほうがよいと気づき、15年に学会で発表したのです」

 「昨年の熊本地震で得られた新データで、揺れの予測でも計算式の問題が分かりました。いまの式を使った大飯原発の揺れの想定は過小評価で、別の式を使ったほうがよいと確信したのです。それで、裁判ででも何でも話さなければ、と決意したという経緯です」

 ―なぜですか?

 「言い続けないとうやむやになる。最たるものが東日本大震災でした。太平洋側で大津波を発生させる地震が起きる可能性があるという政府の地震調査研究推進本部(地震本部)の02年の見解に携わったのに社会に広く伝えることができませんでした。そして1万8千人余りが犠牲になった。僕にも責任がある。『想定外』をもう起こさないようにすることが、僕にできることだと思っています」

 ―規制委の在任中に指摘すべきだったのではないですか。

 「在任中は、この問題に伴う影響を詳しく調べる時間はありませんでした。退任後に調べて明確に分かったのです。熊本地震で新たなデータが得られたことが特に大きかった。急いで対策をとるべき問題だと考え、発表したのです」

 ―指摘を受けて規制委は別の計算式で地震の揺れを試算しましたが、結局、見直しませんでした。そして、大飯原発に再稼働の前提となる「規制基準を満たしている」との許可を出しました。

 「規制委は、いまの式でも、地震の揺れが大きくなる様々なケースも考慮していることを見直さない理由にあげています。しかし、活断層を連動させて揺れを大きく見積もるケースでも8%増えるだけです。規制委の試算では、別の式を使えば80%増との結果が出ました。桁が違う話なのに、『こんなに大きい』と驚かず、指摘を無視し、別の式を使うと計算に矛盾が生じるとして、『計算が間違っている』で済ませてしまった」

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  ―東京電力福島第一原発事故前と比べ、原子力規制行政は変わったと言えますか。

 「変わったと思います。事故直後は、あの事故を二度と起こしてはいけないとの思いを委員も職員も持っていた。それぞれ大変な経験をし、何かを抱えていましたから。大きな変化は審査過程の公開性を重視したことです。これで、外から介入されにくく、独立性が保たれるようにもなりました」

 ―在任中、圧力は感じませんでしたか。

 「ないですね。辞めさせられたというのも誤解で、もともと2年で辞めるつもりでした」

 「もちろん、めげるときはありました。何度も名指しで批判記事を書かれたり、政治家が我々の判断を『科学的でない』と公言したり。そういうときは、被災した人の手記を読みました。一人ひとりが大変な思いをされている。それを読み、『なにくそ』と」

 ―しかし、事故から6年が過ぎ、規制委の内実は変化してしまっているのではないでしょうか。

 「人が入れ替われば、変化してしまう可能性はあります。ただ、最近の状況については見ていないのでコメントはできません」

 ―電力会社は、震災前と後でどう変わりましたか。

 「震災前とほとんど変わっていない会社もありました。震災前と同じ地震の想定を審査で出してきて。いくらなんでも、それはないでしょう。想定が小さければ耐震費用を抑えられる。地震の想定をわずかでも小さく見積もろうとするのは、コストカットと同じ意識かもしれません。安全文化に対する会社の体質の問題でしょう」

 

「想定外」は逃げ自然に謙虚に国が稼働判断を

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 ―地震学者との間に意識の違いがあるのでしょうか。

 「自然に対し、どういう態度を取るのかということだと思います。我々にとって自然はある意味、神様で絶対的な存在です。どんな緻密な理論でも、自然が違う結果を示せば『その通りでございます』と言うしかない。だけれど、ものを造る側の人は、自然に対する謙虚さが薄いかもしれません。あの津波で学んだはずでしたが、いまだ変わっていない人もいます」

 ―原発敷地内の活断層をめぐっても、存在しないことを証明するという「悪魔の証明」はできない、といった反論も聞きました。

 「的外れです。電力会社の調査を検分して誤りを指摘しました。都合の悪い科学的事実に反対したい人は、科学として取るに足らない異論であっても、それを持ち出して、あたかも『まだ専門家が一致していない』という方向に持っていこうとします」

  「本来は科学的に突き詰めたうえで、そこから先は行政が責任を持って判断を示すべきです。ところが行政は、自分たちの意向を反映した判断へ誘導し、事故が起きれば、『想定外だった』 『科学が間違っていた』とごまかそうとします」

 ―政府は、安全性についての規制委の審査を通った原発は、再稼働すると言い続けています。

 「事故のリスクがゼロにはならないなかで、何基の原発を動かすのかは、国のエネルギー政策の問題です。政府としてこうしますとはっきり方針を示せばいいのに、なぜ言わないのでしょうか」

 「規制委は、再稼働すべきかどうかを審査しているのではないのです。一定規模以上の事故が1基あたり100万年に1回程度を超えないようにする安全目標を掲げ、それぞれの原発が規制基準を満たしているのかどうかを審査しているだけです。世界最高水準の規制基準という言葉が独り歩きしていますが、単に日本が地震国、火山国だから、その分、安全基準が厳しい、というくらいの話なのです。事故が起きないわけではありません」

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 ―将来、福島のような事故は起きないといえるでしょうか。

 「わかりません。自然だけが知っていることです。福島で起きたことには対策が取られましたが、揺れの想定には穴があるし、別の穴もあるかもしれません。規制基準は常に見直す必要があります」

 ―国の地震本部の部会長として、福島沖を含む三陸沖から房総沖の大津波の可能性を02年に示しました。原発事故をめぐる東電元幹部の刑事訴訟も、この見解を踏まえた東電の08年の15・7メートルの津波の計算を内部でどう取り扱ったかが論点の一つです。

 「02年の地震本部の見解に基づいて対策していたら、震災に伴うあれだけ大きな被害や、原発事故も防げたと思います。震災後、『想定外』だったと強調する動きが強まりましたが、02年の段階で大津波の可能性は分かっていました。東電は計算手段を持っていて、02年の時点でも10メートルを超える津波の想定は可能でした。対策を取れたはずです。国の中央防災会議も、地震本部の見解を津波の想定に反映しませんでした」

 ―今年5月の講演で「闇は深い」と発言されました。

 「02年当時、地震本部で議論していない内容が報告書に加わり、おかしいと思ったことがありました。あたかも『地震予測は十分に信頼できない』と読める一段落が入っていたのです。震災後、事故調の報告書を読むうちに、政府と電力側の密接な関係が分かり、ミステリーを解くように自分の経験とつながった気がしました」

 「869年に東北地方を襲った貞観津波の評価も、本来は2011年3月9日に地震本部の結論が得られる運びだったのですが、なぜか4月に回された。事務局が事前に内容を電力会社に説明し、東電から修文要請を受けていたことを、後になって事故調の報告書で知りました。後回しにせず議論して公表されていれば、3月10日の朝刊に大津波の恐れを指摘する記事が載り、読んだ人の多くが翌日の津波から逃げられたでしょう」

 ―地震学者は行政や社会とどうかかわるべきでしょうか。

 「若い人には、行政の中には入るなと言っています。世間知らずの研究者を丸め込むのは、官僚にとっては簡単です。研究者が本当に世の役に立ちたいなら、政府の委員会で専門知識を役立てようとするのではなく、外からウォッチし、科学的におかしければ、しっかりと声を上げていくことです」

(聞き手 編集委員・佐々木英輔 黒沢大陸)

(朝日新聞2017年7月1日より転載)