「一日も早く原発に依存しない社会をつくっていく」―。都知事選に立候補表明した舛添要一元厚生労働相は、1月14日の会見でこうのべましたが、著書のなかで「臨海副都心に米軍基地と原発を!」などと、とんでもない主張をしていたことがわかりました。
この本は、1998年6月に出版した『母を思い国を想う』(読売新聞社)。95年12月の高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故に続いて、97年3月、動力炉・核燃料開発事業団東海事業所(茨城県東海村)の再処理工場で発生した火災事故にふれ、「原子力発電の安全性についての国民の疑問を深めてしまったことは間違いない」とのべ、原発立地が困難になることに危機感を表明しています。
そのうえで、「原子力発電、そしてプルトニウムの有効な活用が不可欠である」「つまり、プルサーマルの実施、さらには『もんじゅ』のような高速増殖炉の開発が必要なのである」と原発推進の立場を鮮明にしています。
さらに「基地や原発は、安全やエネルギーを提供しているのであり、その施設がある町は誇りに思ってよい」と米軍基地、原発肯定の立場を表明。「そのような基本的なことが、日本では教育されていない」から、「今後は基地も発電所もゴミ処理場も建設できなくなってしまうであろう」と指摘。「全国民へのショック療法として、東京の都市博を中止した臨海地域に原発と米軍基地を建設することを提案したい」と国民、都民を恫喝(どうかつ)するような主張をしているのです。
舛添氏は、立候補会見で、「震災以降、脱原発を言い続けた」とものべました。
ところが、2011年3月11日以降の国会会議録をみてみると、舛添氏が「脱原発」を鮮明にした形跡はありません。
たとえば、原発事故から半年後の同年9月16日、「たちあがれ日本・新党改革」を代表して参院本会議でおこなった質問。野田佳彦首相(当時)に「菅内閣が提案した脱原発依存という方針を変更されたのかどうか」と聞くだけです。そればかりか、「定期検査後の原発の再稼働について、容易に地元自治体が容認するとは思えません」として、「総理の認識は楽観的に過ぎる」と再稼働にハッパをかけるような内容です。
国会議員になる前も、なってからも、原発依存の姿勢は明確です。