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東日本大震災・福島原発事故11年・・生活再建 復興誓う

「慰霊碑」に手を合わせる(左から)福島、高橋、ふなやま各氏=11日、仙台市若林区

 関連死を含めた犠牲者、行方不明者が2万2千人を超えた東日本大震災から11年。雪が交じる寒さだった震災当日とは違い、暖かい日和となった3月11日、岩手、宮城、福島の被災3県を中心に犠牲者を追悼する行事、献花などが取り組まれました。原発への攻撃や大量の避難民などウクライナの事態とも重ね、命の大切さを考え、防災、原発ゼロ、途上にある被災者の生活の再建、生業(なりわい)の復興を誓う日となりました。

 東日本大震災津波で大きな被害が出た仙台市若林区の荒浜では、多くの人が海岸沿いに追悼に訪れました。

 地震が起きた午後2時46分、一帯にサイレンの音が響く中、「慰霊碑」の周りや堤防の上で海に向かって黙とう。日本共産党の高橋千鶴子衆院議員、福島かずえ宮城県議、庄司あかり仙台市議、ふなやま由美県議候補は、集まった人たちとともに静かに手を合わせました。

 海に面する同地区では当時800世帯が暮らしており、186人が犠牲になりました。

 「あの日、最初に『200人の遺体を発見』と速報が出たのが荒浜です。忘れることはできません」と振り返るのは、津波で兄を亡くした佐藤洋平さん(50)。「私は山の方に住んでいたから助かりました。そんなことで家族の生死が分かれてしまうんですかね」とつぶやきます。

 被災者や遺族が「忘れられない」と語る一方で、県は災害公営住宅入居者の健康調査や、被災児童らの就学支援事業の一部打ち切りなど、「震災10年」を名目に被災者を切り捨てています。

 堤防で手を合わせていた渡辺寛さん(61)は、「11年たっても、あの年のことは思い出すたびに去年のことのように苦しい。なかったことにはしないでほしい」と語りました。

(「しんぶん赤旗」2022年3月12日より転載)