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長距離トラックの運ちゃんの長女として生まれる 父と母の背中を見て育つ 長崎の平戸でのびのびと 長崎から秋田県のわらび座へ 歌ったり踊ったり、全国各地へ公演 結婚により敦賀へ 活動の履歴 |
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長距離トラックの運ちゃんの長女として生まれるわたしは、1964(昭和39)年、東京オリンピックの年の8月21日の夏、大阪で生まれました。 父は長距離トラックの運転手でした。 わたしが幼稚園の頃、労働組合の委員長をしていた父は、組合つぶしのため会社から解雇されました。 |
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| 父とわたし 堺市浜寺の家のうらで | ||||||||||||||||
父と母の背中を見て育つ そのころの大阪は、公害がひどく、わたしも月に一度は扁桃腺炎で高い熱を出していました。 裁判を始めて一年後、父は、元の職場へ復帰することができました。 母は、署名を通じて、新日本婦人の会に出会い、平和のため、子どものために運動するようになりました。 そんな父母を見て育った私は、「わたしも大人になったら、父母のように世の中をよくする人間、社会のためになる人間になりたい」と思うようになりました。 |
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長崎の平戸でのびのびと 祖父が倒れ、わたしが堺市内の小学校を卒業すると同時に、家族5人で父母の故郷、長崎県平戸市へ引っ越し、わたしは平戸中学校に入学しました。 平戸は、隠れキリシタンの里で有名な小さな島です。海がきれいで、自然がいっぱいです。 1980年長崎県立猶興館(ゆうこうかん)高等学校に入学しました。 長崎の学校では、8月9日の原爆記念日が登校日で、黙祷をし、被爆した先生の体験談を聞いたり、平和について考える取り組みが各学校でされていました。 |
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| 平戸の名所 オランダ塀 | ||||||||||||||||
長崎から秋田県のわらび座へ 高校二年の冬、民族歌舞団わらび座の公演が平戸市民文化センターでありました。 歌ったり踊ったり、全国各地へ公演 わらび座の26期生研究生として、二年間、歌(民謡・イタリア歌曲・合唱など)、踊り(民舞・日舞・バレエなど)、お囃子(太鼓・笛など)、演劇、また、社会科学などなど学習しました。 研究期間を終え、歌舞劇「東北の鬼」の作品で全国を公演してまわり、敦賀の市民文化センターのステージにも立ちました。 |
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結婚により敦賀へ その後、敦賀からわらび座へ入座してきた現在の夫・雅彦と大恋愛? |
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活動の履歴 敦賀に来てから、新和町体協副会長のほか、日本民主青年同盟敦賀若狭地区委員会の地区委員、粟野南支部の支部長、新日本婦人の会敦賀支部いずみ班の副班長、赤旗敦賀出張所長を歴任。 |
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