長距離トラックの運ちゃんの長女として生まれる
 父と母の背中を見て育つ
  長崎の平戸でのびのびと
   長崎から秋田県のわらび座へ
    歌ったり踊ったり、全国各地へ公演
     結婚により敦賀へ
      活動の履歴

長距離トラックの運ちゃんの長女として生まれる

 わたしは、1964(昭和39)年、東京オリンピックの年の8月21日の夏、大阪で生まれました。

 父は長距離トラックの運転手でした。
 父のトラックに家族で乗って、雪の降る敦賀に来たことがあります。

 わたしが幼稚園の頃、労働組合の委員長をしていた父は、組合つぶしのため会社から解雇されました。
 父は「まちがったことはしていない」と裁判に訴え、組合の仲間に支えられ解雇撤回闘争をおこないました。

父とわたし 堺市浜寺の家のうらで

父と母の背中を見て育つ

 そのころの大阪は、公害がひどく、わたしも月に一度は扁桃腺炎で高い熱を出していました。
 母は、父が裁判を闘いながら公害反対署名を組合の仲間と集めていることを知り、手伝うことにしました。
 まず隣の家から、そしてその隣・・・と、どんどん足を延ばし、母は子ども3人を連れて遠くの町まで署名を集めに行くようになりました。
 わたしも、「公害反対の署名をお願いします!」と、母の行く先々、知らない家の戸をたたいてまわったことを覚えています。

 裁判を始めて一年後、父は、元の職場へ復帰することができました。
 そのときお世話になった弁護士が、日本共産党の荒木宏(のちの衆議院議員)さんでした。
 父はそれまで、バリバリの自民党支持者でしたが、裁判を通じて「日本共産党こそ、働くものの味方だ」と、考え方が180度変わりました。
 そして、働くものの暮らしを守ろうと、地域の組合運動に力を注ぐようになりました。

 母は、署名を通じて、新日本婦人の会に出会い、平和のため、子どものために運動するようになりました。

 そんな父母を見て育った私は、「わたしも大人になったら、父母のように世の中をよくする人間、社会のためになる人間になりたい」と思うようになりました。

長崎の平戸でのびのびと

 祖父が倒れ、わたしが堺市内の小学校を卒業すると同時に、家族5人で父母の故郷、長崎県平戸市へ引っ越し、わたしは平戸中学校に入学しました。

 平戸は、隠れキリシタンの里で有名な小さな島です。海がきれいで、自然がいっぱいです。

 1980年長崎県立猶興館(ゆうこうかん)高等学校に入学しました。
 高校二、三年生の二年間は、学校の購買部でアルバイトをしました。授業時間以外は、購買部で仕事です。
 1ヶ月5千円のアルバイト料をもらって、汽車で1時間半の佐世保市に行き、映画を見たり買い物をしたり・・・。

 長崎の学校では、8月9日の原爆記念日が登校日で、黙祷をし、被爆した先生の体験談を聞いたり、平和について考える取り組みが各学校でされていました。
 高校の時、先生と生徒の有志による平和学習実行委員会に参加しました。
 自分たちで、平和の問題でテーマを決め、夏休み中に調べ、8月9日の登校日に全校生徒に発表しました。

平戸の名所 オランダ塀

長崎から秋田県のわらび座へ

 高校二年の冬、民族歌舞団わらび座の公演が平戸市民文化センターでありました。
 父母がわらび座のファンで、大阪にいるときから公演を見に行っていました。
 公演が終わったあと、交流会に参加し「小学校の卒業文集にわらび座に入りたいと書きました」と言うと、「じゃあ、おいで」と誘われ、高校卒業後、わらび座へ入座。
 佐世保の駅から一人、寝台車に乗って秋田へと旅立ちました。

歌ったり踊ったり、全国各地へ公演

 わらび座の26期生研究生として、二年間、歌(民謡・イタリア歌曲・合唱など)、踊り(民舞・日舞・バレエなど)、お囃子(太鼓・笛など)、演劇、また、社会科学などなど学習しました。
 また、昔からわらび座を支えて下さる近くの農家へ農作業のお手伝いに・・・。田植え、草取り、稲刈りなどなど、働く中から生まれた民踊の魂?を身体で学びました。

 研究期間を終え、歌舞劇「東北の鬼」の作品で全国を公演してまわり、敦賀の市民文化センターのステージにも立ちました。
 そのとき、公演の取り組みの実行委員長をしていたのが、いまの夫、山本雅彦でした。

結婚により敦賀へ

 その後、敦賀からわらび座へ入座してきた現在の夫・雅彦と「二月三月物語」の公演生活を通じて大恋愛?
 わらび座をやめ、思い出の敦賀市民文化センターで、文化運動の仲間たちの手作りによる結婚式でゴールイン!
 1986年12月、22才の冬でした。

活動の履歴

 敦賀に来てから、町内の組長や体協副理事、子ども会役員、環境美化推進委員、公営住宅協議会会計のほか、粟野地区福祉委員の副委員長を4年努め、日本民主青年同盟敦賀若狭地区委員会の地区委員、粟野南支部の支部長、新日本婦人の会敦賀支部いずみ班の副班長、赤旗敦賀出張所長を歴任。
 敦賀市議会では、一期目は
建設常任委員会、二期目からは文教民生常任委員会に所属し、議会から、都市計画審議会、国民健康保険運営委員会、エンゼルプラン策定委員会、次世代育成プラン策定委員会、通学区域審議会、介護保険運営委員会、介護保険事業計画策定委員会に参加しました。
 現在、議会では
議会運営委員会、文教厚生常任委員会、駅周辺整備調査特別委員会、敦賀短大等調査特別委員会、敦賀美方消防組合議会、に所属。
 地域活動では、新和町1丁目の会計、体協理事長、福祉委員長、医療生協みどり支部の副支部長、新日本婦人の会の支部運営委員をしています。