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父は、会社を解雇され、裁判で解雇撤回闘争を闘ってから、自民党支持から日本共産党支持へと180度変わりました。(生い立ち参照)
父は、その後、地域の働く仲間を応援する活動をするようになりました。
3人兄妹の長女のわたしは、よく父の組合活動に連れられて行きました。
労働者の権利を守るため、自分のことのようにがんばる父を見て育ったわたしは、父を尊敬し、父のような、人のためにがんばる、社会に役立つ大人になりたいと思うようになりました。
父母は、幼い私たちに、平和のこと、社会のしくみなどわかりやすく教えてくれました。
また、日本共産党のこともわかりやすく教えてくれました。
「日本共産党はね、戦争のない平和な社会をつくるんだよ」
「大金持ちや貧乏人のない、平等な世の中をつくるんだよ」
「男女平等の世の中をつくるんだよ」
「世界にはたくさん共産党があるけれど、日本の共産党はよその国の共産党と違うから、日本共産党っていうんだよ」などなど。
わたしは、18才になったら日本共産党に入って、平和のため、世の中をよくするためがんばりたい!と思うようになりました。
18才になりました。でも「いつか、そのうち」と思うようになっていました。
ある日、お世話になっている方から入党を勧められました。「勉強してから」と断ると、「入ってからでも勉強できる」と言われ、「それもそうだ」と日本共産党に入る決意をしました。 ← 安易(^ ^;)
こうして、19才になる1ヶ月前の夏に「18才で日本共産党に入る」という夢を叶えました。
敦賀に結婚してきてからは、家庭、子育て、仕事のかたわら様々な運動にたずさわってきました。
原発の安全性を求める運動、原発増設の可否を問う住民投票の運動、新日本婦人の会の仲間と3歳までの医療費無料化の運動、子育てゼミの開催、平和映画の上映会をしたり・・・。
誰もが健康に暮らせるよう医療生協運動、核兵器廃絶・戦争反対の平和運動、どの子も豊かに育つ環境を求める保育運動etc.・・・。
そんなある日、奥山裕二市議(当時)が、県会議員選挙に立候補することになり、その後継者としてわたしに立候補の要請がありました。
「わたしなんて・・・。子どももまだ小学生、敦賀に親戚も同級生もいないのに・・・。」
でも、これまでの運動を通じ、「敦賀をもっとよくしたい。住民の声が届く市政、一人一人が大事にされる敦賀市にするためにがんばっていきたい。」と強く感じていました。
そのために、わたしにできることがあるのなら、と悩みぬいたすえ立候補する決意をしました。34才の誕生日のことでした。